心配症の私
9ヶ月。息子が9ヶ月になり、もうすぐ10ヶ月になろうとしている。出産は真冬、今はもう秋。いろんなことがあった。本当にいろんなこと。
長女が産まれて、色んなことを学んだから、息子には少し余裕があった。
例えば娘はとても肌が弱くて私の洋服も全て綿に変えたり、石鹸を使わなくて余計に乳児湿疹がひどくなったり
結局アトピー体質だったので、息子もそうかなって最初から覚悟してたが、待てど暮らせど乳児湿疹が始まらない。出ない。でも気を抜くな、あと少ししたら出る、出る、と思って居たのに結局でなかった。
多少の化繊素材も大丈夫。
少々、プツっとでても2日3日で治る。
もちろん違う子だと言うのはわかってるけど全く別物で。
でもその代わり予測しないことたくさんあった。
まず1ヶ月検診でお尻のラインについて引っかかる。1ヶ月検診で引っかかるなんて思っても見なかった。
よく寝てよく飲んで、湿疹もほぼ出ず、お尻も荒れてない。
言われてみれば気になってた。
うんちをふくときに、お尻の背中側にくぼみがあって毎回溜まる。
そう言う形なのかなと気にしてなかった
でもそこに皮膚洞と言ってくぼみがあることで神経の病気が隠れてる場合があると言うのだ。
1ヶ月検診で引っかかり経過観察と言われたが。私はその病気を知らなかったし、そこから当然のごとく検索魔と化す。
同じような形でも病気見つかったり、違ったり。私は眠れなくなってしまった。
寒い季節なのに何度もお尻を出して眺めて、息子はさぞ寒かったに違いない。
大きな病院をすぐに紹介してもらい、見てもらうも、今の段階では何も分からないとのこと。
でもその先生はこの病気は、早く見つけてあげることと2歳前に手術することでほぼ完治すること。一番は、私に任せてくれれば大丈夫だから!と言ってくれたこと。
それから半年後の検診までその言葉で救われてそこまで気にせずにいられた。
娘はそう言ったことに引っかかることはなかった。
次には、息子は運動系の成長が早くて、首も座る前に寝返りする始末。信じられなかった。ムスメが寝返りしたのは7ヶ月くらいか。おすわりできるようになってから寝返り、はいはいだったので。
そんな息子だからもちろんうつ伏せになるのも早く、うつ伏せから首を持ち上げ、腕を伸ばすまでそんなに時間はかからなかった。そこからずりずりといざり出し、そんな時に検診を受けるとなんと、2ヶ月前と体重が変わらず。。成長曲線にギリギリ入るくらいの体重の低さ。
娘の時は成長曲線に沿うようにきちんと増えて居たのに
背は伸びてるからホルモンは出てる、動き回ってカロリー消費してるんだろうってことで落ち着いたけど、それからも増えず、それでも個人差あるってことで、ヒヤヒヤしながらもだんだんと増えて来て、ホッとしているところだ。でも眠れなくなる日は何日か続く。
一番私を苦しめたのは、歯。
娘は3ヶ月で歯が生え始め、早いなーとは思ったけど、左右対称に教科書通りスイスイ出て来た。頭が出てるだけで伸びはしなかったけど、一切では奥歯も出て居たと思う。
ところが息子は半年くらいの時にちょっと下の前歯が二本出てそこまでは良かったが次に、上前歯二本とその横に左一本出てきて、上の歯三本が同時に伸び始めた。
反対側の右の前歯の隣が何もない。
歯が出る前は、白くてプツン隣が歯茎に歯が見え始めて固く盛り上がってくる。
その盛り上がりも無いし、触っても固くも無い。
私は焦った。歯がないってこと娘の時は考えたことなかったけど、知り合いの子が永久歯に生え変わる時に2年くらい出てこなくてレントゲンを撮ると、5本ほどなかったと言う話を聞いたのだ。
そんなことあるの?って思いつつ、色々調べるとどんどん怖くなり、私はだんだんと眠れない日々が続き、家事がおろそかになり、息子の口元ばかり気にして涙が出てくるし、どんどん落ち込んで元気がなくなり。そんなだから娘もだんだんと元気がなくなり、幼稚園を嫌がるようにまでなる。
上の前歯が出て来たのは7ヶ月の始め。
1ヶ月待っても何もない。
私は区の育児相談に電話した。
なんと冷たい対応。
私の方がおかしいと言われる始末。この性格を治したいと思い。精神科を勧められて、無料相談に行くも先生の話が難しすぎる。
そんなことして居てもどんどん落ち込み、母に泣きつく。母は、あっけらかんとした人だから、それより成長を見逃さないように毎日楽しくと言う
私はどうしてもできなくて、助産師さんに来てもらった。
話を聞いてもらうととても楽になった。
そう、私に必要だったのはママ友みたいなしがらみのある関係の人じゃない人とおしゃべりすることだったんじゃないかと。
その後も何回か助産師さんに会う。
その時は心が軽くなってもまた1週間もするとざわつく。
今になり、上の右の歯のところにプツンと白いものが見え始めた。
サーっと心が晴れてくる。
いつからか私はテレビを見ても歯が見えると数えてしまうようになった。
芸能人でも意外と歯のたりない人いたりするんだよなぁ。
そこらへんの話はまた書けたら書こう
娘と色々違ってその度に慌てる私
だが嬉しい誤算もあった
離乳食に手を焼いた娘と違って息子はよく食べてくれる。上手に。
前はビクビクして大人と別に作ったり、お野菜も無農薬のものを取り寄せていたけど、今はもう、大人と一緒に大鍋で作って取り分ける。
そうやった方が美味しい。
それも前は知らなかった。
息子は後追いも激しい。
ちょっとでも私が見えないと大泣き。そんなのも娘はなかったなぁ。
下に置かない時もあった、しがみついて。
そして私が見えるとニカーっと笑う
本当に可愛らしい。
可愛い時期、へんなことに振り回されずに成長を楽しんでそして前向きにポジティブな考え方を持てる子供に育って欲しい
わたしは心配症で苦しい
そうなってほしくないなと思う。
明日は日曜日、何しようかな
娘は落ち葉拾いしたいと言っている。
幼稚園が始まった
出産してからもう88日経っていた
なんで早い
その間にも時間は止まってはくれないから娘は入園した。
私は心配で家で家事ができない、待ってる間心配で心配で
だから息子を抱いて街に出た
今日で3ヶ月の息子
まだ首は座らないけどクルクルと首を動かして外を見てる
抱っこしながら颯爽と歩ける身軽さ。
娘が居ないと事が全てスムーズに進む
それはうれしいこと。ゆっくりと娘の洋服を眺め自分もバックや、ブランドのお店にも気兼ねなく入れる。
けど、ふとさみしくなる。
ちょろちょろと私の足のあたりにいて、イヤイヤ真っ盛りだから文句ばっかり言ってる娘が居ないこと。物足りなささえ感じる
そう、家にいても街に出ても考えるのは娘のことばかり
苦笑
おみやげに娘の好きなみたらし団子を買っている私。
帰ってきたらたくさん話をしてたくさん抱きしめてまた明日から頑張ろうって思う
眠れない夜
明日に手術を控え、それだけでも眠れないのに。
帝王切開だと歩くの大変だからってことで授乳室の向かいの部屋になった。
これがまた騒がしいのなんの。
明日からしばらくねれなくなりますから今日はとにかくゆっくり休んでくださいと助産師さんに言われたのが11時。
寝ようにも寝られない!
この時間あたりから大合唱が始まった。
赤ちゃんたち、それまでは静かだったのになぜ夜にそんなに力の限り泣く?!
でも泣いてるのは同じ子みたい。
同じ5人くらい。
おっぱい出ないのかな?余計な心配したりする。
同じ部屋の赤ちゃんは、授乳室から戻って来ると必ず泣く、お母さんは慌ててる。
どうしたの?どうしたの?ずっと話しかけてる、泣き止まないとナースコール。
泣き止まないんです、どうしたのかな
助産師さんは、毎回同じことを言う。
うーん、甘えたい時間かな?抱っこしてあげて?
少し泣き止むけどまた泣くからナースコール。
抱っこしたりコットに置いたりする音。
でも泣き止まないとやっぱりわたしのことを、気にしてかガラガラとコットを押して出て行く。
その音がもう!うるさい〜!今寝入ったところで!
私の場所は大部屋3人の、入り口なのでドアの開閉と、開けるたんびに廊下の音と全部。
コットを押して居る間その赤ちゃん、必ず泣き止むから、抱っこしてウロウロ歩いてあげなよ!って言いたくなる。
でも20日産婦さんはわからないんだろうな。
コットのガタガタ揺れるのが欲しいんじゃないな?って言いたくなる
あと病院ものすごく乾燥してるから、私でさえ1リットル以上の水分を取って居るから赤ちゃんは喉がカラカラだと思う。
おっぱい出てないんじゃないの?
なんかいろいろ考えられることあるけど、まぁ何回やったかな、部屋に戻って来ては泣き、廊下にコットで出て行き、戻っては出て行き。
私も起こされ起こされて、限界!うつらうつら2時から四時まで寝たかな
まだやってるよ、もう、預けなよ!って言いに行きたくなった。
寝ないとおっぱい作られないよ!って言いたくなった。
みんなうるさいし。
またこの赤ちゃんの泣き声が独特で、甲高い悲鳴のような声だから響き渡る響き渡る。
4時半も過ぎたころ、やっと気がついたのかな
助産師さんに預けたみたい
部屋がシーンとなった。
ここまでの粘りはなんだったんだ!最初から預けなよ!
私は前回は母子同室とは言え、手術だし、起き上がれないから預けておき、授乳時間に連れて来てもらった。
少し動けるようになってからも、休みたいときは遠慮なく預けて居たから、自分も休めたし、同室の人も休めたと思う。
お母さんなんだから自分の体のことも考えなきゃ!
母子同室ってそう言う意味じゃないと思う。
意地でも横に置いとくことばかりが良いわけじゃないし、ましてやこの部屋は全員帝王切開だから無理しなくて良いのに。
もうこんな時間。
ほとんど眠らずに6時からはNSTがあるし、そのあとは最後の水分を取って、あとはシャワーして手術待ち。
4時半も回ると大合唱も落ち着いて来た
お母さんたちみんな預けたんだろうな(笑)
これ1週間続くんだろうなー
早く帰りたいな。娘のところに。
明日生まれる我が子はどんな子やろ
泣き虫かな、寝てばっかりの子かな
どんな声で泣くのかな
明日も話しないとね
急にお腹開けられて眩しいところに出て来るんだものね
今はお腹で最後の夜をリラックスして過ごして居るかな
帝王切開は立派なお産
10:20予定の手術。
娘と母が一時間前に面会に来てくれた。
娘はまた二歳だから待ってるの、大変だよね。
なかなか呼ばれず10時30分に呼ばれるとアレヨアレヨと歩いて手術室へ。
手術室へ行く前に娘にシルバニアファミリーのオモチャを渡して
ママ赤ちゃんを産んで帰ってくるからねと言って手術室へ向かった
手術着に着替えている時から震えが止まらない。冷たいスリッパを履いて歩いて部屋に入る。
予想より小さなベット。
助産師さんの手を握りしめていた。
すぐに準備が始まる。
手術台に登った。
妹の言葉が浮かぶ。何かの漫画か本に書いてあったみたいだけど
自ら望んで、自分の病気を治すためじゃなく手術台へ上がるのは帝王切開のお母さんだけだって
裸になって横になるとまず抗生剤?の点滴
これが何回もしっぱいする。点滴でこんな失敗してて大丈夫なのかなって一気に不安になる。
やっと血管に当たると次はいよいよ麻酔。
背中全体に冷たい消毒、2回。
それから背中を丸めて麻酔の先生に背中をだす。
エビみたいに!と言われたけど、私は臨月の妊婦。スイカを抱えたような格好だろうなーなんて考えていた。
真ん中らへんにチクリ。
もう少し下にチクリ
真ん中らへんの注射したところに何やらモソモソグッグッと入ってくる。
チューブを入れると言われた。体の中に何か入る違和感。うーんうーんとうなってしまう。
いよいよ下半身の麻酔。これは全く痛くない。気持ち悪くならないように意識して深い呼吸をする。
上を向けられる時にはもうじんわりと足の方からあったかくなりすぐにぴりぴりと感じて麻酔科の先生が保冷剤を当てて冷たいか検査する。冷たくないのが胸のあたりまでくると尿の管を入れ、目の前に目隠しのカーテンがかけられお腹全体にバサっとシートがかけられた。
助産師さんが見ながら中継してくれる。
そこからは早かった!
ググーっとおなかの皮膚が引っ張られるような感覚。グイグイと内臓が引っ張られる感覚。
助産師さんはもうすぐ出るよ〜っていう。
本当にそこからすぐに
少し押さえますよ、赤ちゃん取り出します
と言われ3人くらいに体を押さえられたらでて来た赤ちゃん。
ズルズルーっと何か吸われるとニャー!っていう高い声。
おめでとうございます!ってみんなが言ってくれると、じわーっと涙が出た。
新しい家族。今日から私は二児の母。
それと同時にもう妊娠は望んでいないから最後の体験。最後の赤ちゃん。
とにかくありがとう。38歳になって子を授かったこと、元気に今産まれたこと。私も息子も百点満点!
鼻から羊水を吸われて背中をさすららて、ニャーッニャーッと泣いている。
初めてのカンガルーケア
あったかくて湯気が出てそうなホヤホヤの赤ちゃん。私の胸の上で目を開けて見ていた。
可愛いね、ほっぺたを触る。柔らかい。
よく頑張ったね10ヶ月。みんなで頑張った。
お姉ちゃんは抱っこもおんぶも我慢した、つわりの時は遊んであげられなかった、皆んなの赤ちゃん。それが家族。
そんなことしてる間にも先生はサッサと処理をしている。
胎盤を見せてください
というとビニールに入った胎盤を触らせてくれた。
あったかい胎盤。小豆色のどっしりとした丸いもの。息子と私をつないでたもの。
そう思うと気持ち悪さは無かった。むしろ連れて帰りたいような。。。
胎盤も頑張ってくれた。
そして何より頑張ったのは私の子宮。
ありがとう。
いつもはピンポン球くらいの子宮は赤ちゃんを授かり40倍の大きさまで伸びると聞いた。
毎日毎日少しずつ大きくなって
また今日から小さくなって。
おつかれさま。
それから少しぼんやりする薬を点滴されて
手術室を出ると娘がいた。
ままーあかちゃんかわいいねー、まま、泣いてるの
ぼんやりと聞こえてきた。
最後の出産。思い出いっぱいありがとう
今日からまた新しい人生!
入院の日
予定帝王切開だと前日から入院となる。
検査やらは、すぐ終わったし、暇な時間が多くて明日でも良かったのでは??と思ってしまうが。
私は2歳の娘のことが心配で心配でならない。あの子が生まれてから片時も離れたことがないから、とても寂しい。
布団に入ると必ず左側にいて、私の腕枕で寝るのが大好きな娘。
アトピーがあるから、夜中に、背中かいて〜って大丈夫かなって思う。
とにかく怪我だけはしないで
もうとにかくそれだけ。
でも良いコにしてたみたい。
五月に妊娠がわかってからずーっと娘には我慢ばっかりさせて来た。
おんぶとだっこが大好きな娘。
ずっとしてない。
帝王切開だから終わってからも少し無理かな。
とにかく考えるのは娘のことばかり寝ても覚めても。
入院して居るとひっきりなしに赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえてくる。小さい声。
ふと、あ、私明日出産するんだ。って気がついた。
明日になったら、この大きなお腹は無くなって代わりに新しい家族をこの腕に抱くことになるってこと。
そうだった
そのためにここに居る
夜中にグニャグニャと動くお腹ももう今日でおしまいなんだな。
私はもう妊娠は希望しないから、そう思うとふと、寂しくなる。
でも人生は立ち止まっては居られない、日々進んで行く。
明日には明日の楽しみがある。
少し入院の話
帝王切開は前回は後陣痛が痛くて痛くて本当に息も吸えない痛さだった。傷よりも。
それに気がつくのにだいぶ時間が経ってからだった。夕方四時に手術して、痛みが取れなくて取れなくてこれが後陣痛の痛さだって気がついたのが朝の5時くらいだった。定期的に痛みが来るのできがついた。
あれがまたくるのかと思うと冷や汗が。
でも今回は手術の時に背中にチューブを入れておき、麻酔が切れても持続的に痛み止めを投与できると言うもの。
どうなのかな。少しでも痛みが取れてくれると良いけど。
今日は眠れそうにないな
娘の柔らかい手とふわふわのほっぺばかり思い出してしまう。
明日は朝6時からNSTなのに
眠れそうにない
手術の前に娘に一目会いたいなぁー
iPhoneを水没させる
出産まであと1ヶ月を切ったクリスマスの前の日私はiPhoneをトイレに落としてしまった。
トイレに落とす人結構いるみたいだし、その時はタオルで拭いたらどうにかなるかなんで甘く考えて居た。
普段やらないのに、私は電話をしながら娘をトイレに連れて行った。まだ一人で座れない彼女を便座に乗せた時に耳と肩に挟んだ携帯をぽちゃん!
私は躊躇せず携帯を引き上げたが
そのあとはなぜか不思議に落ち着いて居た。
タオルで拭いて、カバーを外す。
でもここで電話の声が聞こえなくなり画面が真っ黒になる。ホームボタンを押すも反応なし。
まだポタポタ水が出てくるから念入りに拭きながら、母に言うと、ドライヤーいいらしいよと。ドライヤーをかける。
つかないなぁー。
振ってみるとイヤフォンジャックあたりから水が出てくるから、出なくなるまで振ってみた。娘のメルちゃんをお風呂に入れると目や接合部から体内に水が入る、それや、髪の毛の水をなるべくきるために振り回す。その要領で。ラーメンの湯切りみたい、なんてのんきに。
それでもつかないと少しインターネットで検索をかけてみる。
iPhone 水没
ん?
やってはいけないこと。
ドライヤーをかける
振る
電源を入れる
どのページにも書いてあること汗
全部やってしまった。
ここでだんだん焦ってきた。
あれ?これってまずいんじゃ。
Apple Storeに電話するもなかなか繋がらない。もうインターネットで見つけた水没直しますのところに電話してみた。すると、水没は早ければ早いほど治る可能性が高いと。
その時夜の7時半をまわっていた。
8時までに持ってきてくれれば、と言われ慌てて母に車を出してもらうも、途中でエーユーによる。
水没したことを話すとまずApple Storeに行くように言われる。
私はなぜかそこで急にApple Storeに行かなければならない気がして行き先を変えてしまった。
Apple Storeに着くとすぐにSIMカードを抜き、アップルI.D.を聞かれる。iCloudに残っていればそれを新しいiPhoneに入れれば即解決とのこと。もう8時過ぎて店も暗くなる中iCloudに問い合わせるも、私は何か登録ミスで、iCloudを開けない。フリーメールをもう一つ作って明日出直すように言われてその日は帰る。
でもアップルでは水没は修理せず交換と言われた。私は自分の選択ミスに気がつく。
バックアップどころかiCloudの空き容量もないまま2年間使い続けてていたから、データなんて残ってない。悔やまれるのは娘の写真が残らないこと。交換回収されたら永遠に手に戻ってこない、二年分の娘の写真。
震えた。
そうか、私はこのiPhoneを直さなきゃいけないんだ!と気がつく。なぜあの時方向を変えてApple Storeに行ったのか。裏目裏目の私の行動。
トボトボと帰りとにかくピアノ用のシリカゲルの入ったビニール袋にiPhoneを入れて眠る。朝もつかない。
不安で口数が少なくなる。
最悪前のiPhoneがあるから連絡先はわかるけど最近の幼稚園のママ友なんかは全滅。
インターネットを検索すればするほど怖いことが書いてある。
私は意を決してiPhone専門の修理業者をあたってみた。とにかく持ってきて、中を開けてみるとのこと。
まだ可能性はあるとのこと。私に残されたのはiPhoneを直すことだからとにかく藁にもすがる思いで持っていく。非正規のお店だし、小さいしって思ったけど背に腹はかえられぬ。聞くと一時間ほどで直るか直らないかわかるらしい。一時間、何かの宣告を待つ気持ち。今日はクリスマスイブ。クリスマスパーティーの予定があって私はケーキを調達していく手はずになってた。待つ間ケーキをさがす。キルフェボンが目に入ったけど、長蛇の列にげんなりして普通のサンタののったイチゴのケーキを買う。娘も楽しみにしているからとにかくパーティーに向かう。みんなでお料理をして、夜に食べる段取りだ。
着くと連絡が。
やはり直らないとのこと。背中がひんやりした。臨月に入る直前に何が起こってるんだ。頭から出産が飛び、電話のことで頭がいっぱいななった。
画面のバックライトが壊れていて
でもどうやら電源は入るのでもしかしたらデータは取り出せる可能性は残ってると言われ、即データだけでも回収してほしいと頼む。
ここから地獄だった。
パーティーは楽しかったけど、業者が年末年始の休みに入る。データが救出できるかどうかわかるのに2週間ほどかかる。
実につまらない正月だった。寝ても覚めても電話のことで頭がいっぱい。
でもこの事件で私はバックアップのことや、iCloudの意味、色んなことを学んだ気がする。
正月休みが終わろうと言う日、宣告を待つ私は母と話す。大事なのは写真。でも、昔はスマートフォンなんてなかった。写真だって日常に取るものでもなかった。だけどアルバムの中では子供は成長してく姿がわかる。
もしかしたら、スマートフォンの普及で写真自体を大事にしてなかったんだなって気がついた。日常をどんどん取ることでその大量のデータは価値も薄くなる。それよりも節目節目で撮った写真を紙に残すこと。電話番号やメモもそう。改めて紙の大事さを気がつく。その話をした後だんだんと心が静まり、諦めがついてきた。
怖かったけど、思い切って電話する。
データは取れたのか、
折り返すと言われてまた不安で胸が苦しくなる。私はあまり携帯に依存してないつもりだったけどこんなにも依存していたんだと気がつく。
折り返しの運命の電話
データ救出成功しました!
ホッとした、娘を抱きしめる。
トイレに落としてから私ずっと暗い顔してたみたい。気がつくと
オムツ外れていた娘は、私が携帯をトイレに落としたことを自分のせいだと思ったみたいでトイレに行きたいと言わずに、またオムツに戻ってしまった。
そうじゃないよと言い聞かせても、赤ちゃん返りも混じって今は無理強いさせないように。
データ救出の連絡をうけ、私はこの際機種変更した。少しでも防水に。
今日新しいiPhoneにデータが全て戻り
無事このバタバタは解決した。
18日間。振り回されたが今回学んだこと一つづつ、習慣化しよう、今年の目標がまた増えた。
マタニティマーク、知ってる??
マタニティマーク、つけていたら押された、とか?怖いこと書いてあることも多いけれど。
前回の妊娠は三年前。その時は東京に住んでいたが、マタニティマークどころかお腹が少し大きいのを見ていろんな人が電車では必ずと言っていいほど席を譲ってくれたものだ。都内では浸透している習慣。
ところが。
路面電車がほぼ市民の足となっているここで全く譲ってくれるひとが居ない。
ここでは市内中心に観光地となっている建物や歴史建造物が位置しているため路面電車はいつも混雑しているのにもかかわらずだ。
妊娠というのは男の人には一生分からないし、とうぜん若い子たちにもどんなに大変かわかるまい。ましてや上の子を連れての妊婦はもう、移動が死活問題である。
大げさではなく、人を1人お腹に抱えてグラグラする電車でベビーカーを片手にバランスを取るのは非常に難しいのと、腹筋を使うので疲れる。
電車を利用したくないな、とさえ思う。
お腹がはったり、ずーっと歩き続けてやっと乗った、そんな人もいるし、電車を待ってるときだって立ちっぱなし。そうでなくても家に帰れば立ちっぱなしの家事が待ってる。
そういうことカケラも考えないのかな?これは県民性か?
まだまだあと4カ月もこの土地で生きていかなきゃいけないかと思うと、ウンザリする。
今日は本当に腹が立った
優先席のベビーカーや車椅子を置く場所に寄りかかり、ゲームを堂々とする若者に。
何にも考えてないんだなと。
妊婦だからって威張るな、妊娠は病気じゃないとよく言う人がいるけど
あなたの想像をはるかに超える大変さがある。賛否両論あると思うが、わたしは妊娠している人には席を譲るべき、譲らなければならないって思う。
ここの人って、マタニティマーク無視するよな。